カテゴリ:絵本・児童書( 4 )

The Giving Tree シェル・シルヴァシュタイン 日本語訳「おおきな木」

c0025437_23113039.jpgこれは去年私が古本屋で買った本(英語版)です。
(右の写真は日本語訳の本)
なぜ今更取り上げるのかというと、下の記事で紹介してる本で取り上げられていたからです。
(「メディアにひそむ母性愛神話」)

絵本の内容は・・・
あるところに一本の大きな木がありました。彼女はある男の子を愛していました。
男の子は毎日落ち葉で遊んだり木に登ったり枝の中を泳いだりリンゴを食べたりして木で遊んでいました。
彼も木のことが大好きでした。木は幸せでした。
でも、男の子は成長していき、木は一人になることが多くなりました。
ある日少年になった男の子がやってきました。木はとてもうれしくなりました。前のように私で遊んでいってと言うと男の子は「木を登るには大きくなりすぎたよ、僕、欲しいものがあるんだ。お金ちょうだい。」と言います。木はお金など持っていません。「では私のリンゴを町に持って行って売りなさい、そうすればお金になって幸せになれるわ」男の子はリンゴを全部持って遠くへ行ってしまいましたが木は幸せでした。
同じように、男の子はずっと木のところへ戻らないのに
年頃になると 家が欲しいと言っては     木の枝を全て持って遠くへ行ってしまい、
中年になると 舟が欲しいと言っては     木の幹を全て持って遠くへ行ってしまうのでした。
それでも、木は幸せです。。。でも本当は違った。
そして最後は男の子はおじいさんになって疲れたから座るところが欲しいと言ってきます。
木は、自分の切り株が丁度いいと言います。切り株とおじいさん・・・
木は幸せでした。

こんな感じですかね。
私がこの本を初めて読んだのは中学生。
なにかわからないけど納得できない本でした。
なにがいけないのかわからないけど、とにかく不満を覚えるような感じで、決して「よかったね」と言えるような本ではないと感じました。
でも、先生は絶賛でした。
なのでこの本のことは心に残っていて去年古本屋で見つけたとき購入しました。

これはですね、無償の愛をうたっているんですね。
そしてその無償の愛は「母性愛さながら」と訳者のあとがきに書かれているそうです。

でも、母親の愛は無償ではない!!というのが大日向さんの意見です。
「何か手応えがほしいと思ってしまう」
そりゃあそうですよね。
私は大日向さんの本を読んで、やっと中学生の頃のあの気持ちがどこから来たのかわかりました。
男の子は、別れ際木の方なんて見向きもしないんです。
何かをもらっても、うれしい顔一つもしない。
助けてもらっているのに、感謝もしない。
そこなんです!!
感謝までいかなくてもニコッとうれしそうに笑ったなら、この話もすんなり受け入れられていたでしょう。
男の子のうれしそうな顔に木はどれだけ救われるでしょう。
この本は、救われるものがないのに美しい話として結んでいる。
そこが問題なんです。

私も子どもと色々接する身として、母親の気持ちが少しはわかったとは決して言えないけれど想像することが出来ました。
私の話だけど・・・
私は、子どもが好きです。
でも、24時間好きなわけではありません。
子どもと一緒にいてきついときも、ぶっちゃけ嫌だなって思うときもあります。
でも、子どもと一緒にいて、笑顔とか、ちょっとした行動とか、他人にはどうってないことに、とってもとっても喜びを感じるから、愛しいと思うから「子どもが好き」です。

母親だって一緒なんです。
24時間わが子がかわいいわけではありません。
体調が悪いのに家に二人っきりのときとか、きついのに泣きやまないときとか、
そんな時でも子どもの全てをかわいいと思える人はそうそういません。
母親だって人間ですから、子どもだって一人の人間ですから、子どもにイライラするときだってあるでしょう。
でも、それでも我が子を愛おしいと思えるのは、自分にとってうれしいことがあるからだと思います。
子どもが自分を気遣って「大丈夫?」と言ってくれた、手をつないだらとてもうれしそうに笑った、自分のことを「大好き」って言ってくれた・・・何より子どもの笑顔はかわいいですから(^^)
そういうことがあって、母親も子どもとやっていけるんです。
見返りは、ただの笑顔です。でも、なによりも強い笑顔です。

なのにこの本はそこんとこ書いてないから自然じゃない。

木が、何の見返り、手応えもないのに幸せと感じるはずがない。

母親が、何の見返り、手応えもないのに愛おしいと感じるはずがない。
(だって新生児は自分の意識に関係なく笑顔のような顔をつくるようできている。
 それって、母親に育ててもらうためには愛おしいと思ってもらわなきゃ
 何もしゃべれない、反応できない自分を育ててもらえないわけで、
 そのためにあるんでしょ?
 母親は、手応えがあってこそやっていける。ないとやっていけない。)

そして母親の話になるけれど、
「母親は子どもをかわいいと思うものだ」という考えが当たり前に浸透していて、
勿論自分(母親)自身のなかにもある。
だから「子どもに対して邪魔だと思ってしまった」という事実に母親は自分を責める。

それって当たり前のことなのに。
誰もが思うことなのに。
24時間愛し続けることが出来る人なんていないんぢゃないかな。

だから、母親にはもっと母性神話についてよく知ってもらいたい。
また、この絵本の作者も無償の愛を信じている。
これを読んだ人も無償の愛に心を打たれ、いいものだと思ってしまう。
でも、母親の愛は無償の愛でなくていい。
小さな事に大きな喜びを見いだして、そういう見返りをもとにして、つらいことも乗り越えながら子どもを愛すればいい。

さて、なーんか話題の交錯したものになってしまいましたが
(しかもうまく言えてませんが)
今日はここでおしまいでーす。
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by sumomomomomomo55 | 2005-08-05 00:21 | 絵本・児童書

ケンスケの王国 マイケル・モーパーゴ 佐藤見果夢訳

c0025437_1547343.jpgちょうど1年前、西日本読書感想画コンクール指定図書であった「イヴの満月」という本(小学校高学年の部)を古本で購入したところ大当たりだったので、これまた古本屋さんで『第47回西日本読書感想画コンクール指定図書中学生の部』という帯を見るなり500円で購入してしまった本です。(児童書は高いよね)

しかーし!!読まれることなく本棚に眠っていること半年以上!!
その要因はズバリ表紙。
桃的センスだと表紙に全く魅力を感じることが出来ずどうしても読む気になれなかったのです。

しかし!!今日は無性にひょいと1冊読んでみたい気分に。(勉強しないといけない時期はこのように様々な逃避手段が私の頭を占領する)
「モモちゃんシリーズ次の読もう!」と思い「未読棚」から取り出しページをめくる。
・・・これ、第二巻でなく第四巻やん・・・↓
間違えて購入していました。
(こういうの前にもあったな・・・恥)

そしてこの本の表紙をめくって裏のとこ読むと・・・
ヨットで世界一周の航海に出たマイケル少年一家。しかし、オーストラリアを過ぎたある日、マイケルは、愛犬ステラとともに夜の海に落ちてしまう。・・・・・・・気がつくと、そこはジャングルにおおわれた無人島。いや、たった一人、奇妙な日本人が住みついていた。その人の名は「ケンスケ」
え!?作者外国人ぢゃなかった?<表紙確認>
やっぱり訳ってことは外国で作られた話だよね!?日本人登場!?
めっちゃテンション上がり(=興味・関心を持ち)読みかかる。

日本人が出てきたり、私が実話だと思いこんでいたりしたので、かなり感情移入して
ドキドキ、そして切なく読めました。
実話だと確信してたから感動はとても大きかったです。
人間って言葉がなくてもこんなにも通じ合えるんだ、
人間と動物はこんなにも心が通じ合えるんやね、
やっぱりこのお守りがあるから助かった・ないからこんなことなった んだね、お守りの力ってやっぱり本当なんだよ、
日本人ってやっぱり素晴らしい気質と手先を持ってるな、とか
色々と・・・思いました!
まさか普通にフィクションとはね、、、今考えればそりゃあそうだけど、あとがき読むまで事実だと思いこんでいました。
確かに、よく「ケンスケ」の漢字わかったなぁ、のちのちどうやって調べたんだろう、とか
植物や動物の種類、のちのち調べたから名前載せてるんだろうけどのちのちまでよくその種類の様子を記憶してたな、とか微妙な疑問はいくつかありましたどね(^^;

ケンスケは、第二次世界大戦の海軍の軍医で船に乗っていました。
でもその船が攻撃され、一人生き残りこの島につきました。
そしてまもなくアメリカが長崎に原爆を落とし、長崎が全滅したことを知ります。
全滅という言葉に勿論妻子も死んだと思い、外の世界へ出ることに何の目的もなくなりました。
40年程たち、そこへマイケルがやってくるのですが・・・まぁそう簡単には仲良くなりません。
色々あったあと二人はとてもいい友達に、そしてマイケルはケンスケにとって息子になりました。
人間を憎んでいたケンスケが「今は二人楽しい」と心から笑っています。
マイケルもケンスケのことが大好きだし、ケンスケの穏やかな笑い方が大好きです。
でも、マイケルには本当の家族が外の世界で生きているのです。
ケンスケのことは大好きだけど、家族の元にも戻りたいと思ってしまう12歳の少年。
また、家族の元へ帰ることが同時に何を意味するのかもわかってしまうからよけいに辛い。
結局、マイケルに言われて、ケンスケは妻のキミも息子のミチヤも生きているかもしれないという
今までに無かった考え方を知ることで「日本」への帰還を考えるようになるものの、
自分の世界は今の日本にはもうないこと、島の動物たちを守っていかなければならないことを理由に、マイケルを迎えに来た船には乗らず、ひっそりと姿を消したのでした。
三つの約束事を言い残して・・・
毎日絵を描き続けること。マイケルは絵の才能があるので北斎のようになれる。
自分のことを思い出して欲しい。満月を見たらお互い相手のことを思うこと。すると二人ともいつまでも忘れない。
この島にケンスケがいることを誰にも言わないこと。マイケルはこの島で一人で暮らしたことにする。ただし、十年経ったら誰に言おうと構わない。そのころには自分は骨だけになっているから。

それで、10年たったのでマイケルが、当時行方不明の間ほんとうはどのように暮らしていたのかを知らせる義務のためと
そしてこの世で唯一マイケルだけが知っているケンスケの人生を世界中の人々に知らせる機会を作るためにこの本を書いた。・・・という話です。

「おわりに」
この本が出版されて四年して、わたしは一通の手紙を受け取った。

マイケルさま
 へたな英語をおゆるしください。わたしはオガワ・ミチヤといいます。ワガワ・ケンスケ医師の息子です。あなたの本を読むまで、父は戦死したものと思っていました。母はそう信じたまま三年前に亡くなりました。あなたが本の中に書かれたとおり、私たちは長崎市内にいました。けれども運のいいことに、原爆が落とされる数日前に、祖母の家を訪ねて田舎に行っていたのです。それで助かりました。
 わたしには父の記憶がありません。写真が何枚かと、あなたの本が手がかりです。父を知っているあなたと、お話ができたらうれしいと思います。いつかぜひ、お目にかかりたいものです。そう願っています。    オガワ・ミチヤ
 
 この手紙をもらってから一ヶ月後、わたしは日本を訪ね、ミチヤに会った。ミチヤの笑い声は、ケンスケにそっくりだった。


えー!!(><)
なんこのドラマ!?やっぱりケンスケはあのとき日本に帰るべきだったんだ。
そうしたら妻子に再会できてたのにっ
ミチヤはこのイギリス人を通して、小さい頃生き別れた父親についてたくましい姿を思い浮かべたり、自分たちのことを思っていた愛情あふれる姿をしったり、それって涙なしには過ごせないとても感動的な時間なんだろうなとか、思って、「現実は小説より奇なり」のやるせなさに色んな想いを馳せていました。

で、そのあとのあとがきでフィクションだたことを知り、しばらく呆然としたものですが(^^;
でも今回は久々に小学生のときのようなドキドキのリアル読みが出来たのでよかったです☆
てかこのコンクール主催の「九州・山口各県図書館協議会、西日本新聞社」の本の選び方最高ですね!
名作だと思います。
ちなみに本作品はイギリスの「子どもの本賞」(子ども向けフィクション対象の、審査員が子どもだけという審査方法をとる」の2000年受賞作品です。
(長編部門はハリーポッターが受賞)
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by sumomomomomomo55 | 2005-07-27 15:48 | 絵本・児童書

ちいさいモモちゃん 松谷みよ子(この前の日曜に読んだかな・・・)

c0025437_295123.jpgこれは絵本ってワケぢゃないんですが、子どもが読めるよう書かれているので「絵本」カテゴリーにしました。
このシリーズ(6巻くらいかな)は小学校6年生の時に学校から借りて読みました。
心にすっごくすっごく残っている作品です。
私の心に残っていたのは、「長いのに読みやすい」ってのと、
あとは内容になっちゃうんですけど、
お母さんが離婚するときにモモちゃんに話した説明、
そしてお父さんの死を知り泣いたお姉ちゃんモモちゃんと、それを見ていたアカネちゃんとくじらのこと。
こう書くとブログ読んでる方は全くわからないと思いますが、
順を追って購入、読書して書いていくのでそちらをご覧下さい☆(これらの内容は本巻ではないのです)

さて、やっと本題「ちいさいモモちゃん」を読んでの感想です。
上に挙げました通り、
私の中にはこの巻でなくあとあとの巻の話のことが印象に残っていたんですね。
でも今回、この第一巻にあたる「ちいさいモモちゃん」を再読して、
この作品の素晴らしさを改めて感じることができました。
この話は、
ネコがしゃべったりにんじんさんやじゃがいもさんがモモちゃんのおうちに遊びに来たりと
結構非現実的な世界で成り立っています。
でも、人間(ネコや野菜であったりもする)の気持ちにおいて、誤魔化しがありません。
ネコのプーのモモちゃんを愛する気持ちや、ママのプーよりもモモちゃんを優先してしまう気持ち、
「にんじんさんはいやだぁ」と言われて泣いて走り出してしまうにんじんさんの気持ちや
それを追いかけるものたちの気持ち、(きれいな気持ちばかりではない。プーはそれを見ててもぼくも好きじゃないと思っている)
これは是非大人にも読んでもらいたい本です。
生身の人間の気持ちが現れている気がします。
よくあるきれいごとばかりの話ではないから、ドキッとしたり切なくなったりしてしまいます。
その気持ちがわかるから・・・。
私はネコのプーのポジションに一番興味があります。
ママはプーもかわいがるけど、やっぱり一番に考えるのは我が子のこと。
少し邪険に扱われるプーの気持ちにとても心打たれます。
プーはそういうときは怒ったり拗ねたり一時的には気持ちが離れちゃうけど、
基本的にモモちゃんもママもパパも好きなんですもん。
もちろんママもプーのことは好きですよ。
でも、なんかその辺の微妙な全力対全力でないところが現実にはよくあることで、
私はプーの気持ちにハッとしちゃうんですよねー。
3歳までのモモちゃんを見るところ、プーとモモちゃんは全力対全力っぽいですけどねー。
あ、でも幼稚園のこうちゃんがいるときはモモちゃんはプーに対して全力でないかも・・・。

・・・なんかわかりにくい感想だ(笑)
次はちゃんと具体的に話を挙げてみようかなー。
ではおしまいです、おやすみなさい☆(無責任)
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by sumomomomomomo55 | 2005-07-15 02:49 | 絵本・児童書

アレクサンダとぜんまいねずみ レオ=レオニ

c0025437_11561016.jpg絵本は奥深いですよねー。
ブックオフにて1000円で購入しました。
絵本って元々も高いけど中古でも高いのね・・・クスン。

作・絵はスイミー書いた方。
訳は谷川俊太郎(こっちもスイミー訳したのかな?)

絵本って、子どもには分からない伏線というか、作者のメッセージが込められていると思うんです。
この話のあらすじは・・・人間にきらわれる鼠アレクサンダがアリー(人間)のお気に入りおもちゃぜんまいねずみのウィリーと出会います。みんなにちやほやされるウィリーに比べ、「ぼくはあんまりだいじにされない」と悲しくなるアレクサンダですが、友だちができてうれしかった。それからはすきさえあればウィリーのとこへ行き二匹でお互いの生活の話をしました。ある日、ウィリーはアレクサンダに不思議な話をします。なんでも庭に生き物を他の生き物にかえることのできるとかげがすんでいるとか・・・。「ぼくを君みたいなぜんまいねずみにかえられるっていうの?」   アレクサンダはトカゲに会い、条件である紫の石を探しますがどうしても見つかりません。ある日、アレクサンダが見た物は、ゴミ箱行きの箱にウィリーが入っている姿でした。「かわいそうに、かわいそうなウィリー!」そのとき突然何かが目に映った。それは紫の石。さて、アレクサンダの願い事は・・・・ウィリーを鼠に変えることでした。

てな感じです。
ま、子どもの時だったらアレクサンダが自分のことでなく、ウィリーのことに願い事をつかったってのが注目ポイントですね。
でも、私はウィリーの気持ちに切なくなりました。

「台所へ行ってパンくずを探そうよ」
「ぼくだめなんだ」ウィリーはいった。「ねじをまいてもらったときしか動けない。でもいいさ。みんな僕をかわいがってくれる」
この、「でもいいさ」以下は、自分に言い聞かせているように思います。
ほんとはウィリーだってどこにでも行きたいのに、アレクサンダと違ってうらやましいという感情を相手に見せません。
それだけでなく自分に言い聞かしています。でもいいさ・・・ってね。

とかげの話だって、自分も普通のねずみになりたいという気持ちがあるのに、その感情は相手にみせていないこと、そして自由に動けない(これがまた相手をうらやむ原因であることがみそ)ことが理由で自分の願いはとかげに伝えることが出来ません。
それで自分を押し殺してアレクサンダに教える。
アレクサンダは「ぼくを君みたいなぜんまいねずみにかえられるっていうの?」なんて簡単に言うからさ。
ウィリーにとっては羨ましくもあるよなーとか。

なんかそんな感じです。
簡単に言えばウィリーだって感情はある。
ってのが子どもの時にはわからなかったことのように思います。
小学生の時は先生も人間で傷つくことだってあるとか知らなかったってのと似てる気がする(全然違う?笑)

あと、紫の石が見つかるタイミングですかね。
これは勿論、アレクサンダが自分のためでなく、他人のために何かを思ったから、見つかったんだと思います。
今まで絶対見つからなかったのにね。

ま、そんな感じで絵本は奥深いです。

でも一番の魅力はやっぱり読んだ後のほのぼのさかな~。
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by sumomomomomomo55 | 2005-02-09 11:14 | 絵本・児童書